blog
2017年12月26日

石坂マサヨ★アタシが生まれて初めてバンドで歌をうたったお店は「新宿JAM」という名前のライブハウスでした。

アタシが生まれて初めてバンドで歌をうたったお店は「新宿JAM」という名前のライブハウスでした。

1972年・品川で生まれ、7歳より八王子で育った当時中学3年生の石坂マサヨは、同じ学区にある大好きな忌野清志郎さんが通っていた「ぼくの好きな先生」でお馴染み都立八王子日野高校を受験し見事に大失敗。
日野高校でバンドをバリバリやって青春を謳歌しようじゃないか!と思っていたアタシの目論見はいきなり木っ端微塵に砕け散る。
で、仕方がなく併願推薦で受かっていた某私立女子校に進路が決まり、それでも「まぁ軽音部あたりは在るだろうから、そこでパンクバンドをバリバリやってエンジョイ女子校ライフ!」くらいに軽く思っていた。
が、そんな夢もつかの間。
入学1日目、軽音部を探しても全く見つからず…
辛うじてあった音楽系の部活動は「フォークソング同好会」という昭和末期とはいえ救いの無いネーミングだった。

だめだこりゃ。

いかりや長介の声が脳内をディレイ状態で駆け巡り、入学1日目にしてリタイア方面に心が折れるも、親に出してもらった「入学金&森英恵デザインの謎に高価なダサい制服」がアタシの気持ちを思いどどまらせ、なんとか初日中退を間逃れる。

そしてマサヨは、
せっかくだから取り合えずフォークソング同好会に入会してみよう!と前向きに進んでみた所、最初の同好会ミーティングで同級生達が発表する「自分はここで、どんなバンドが組みたいか?」発言に辟易。
当時のイカ天ブームも手伝って
「ピンクサファイアみたいなバンドをやりたい☆」とか「 KUSU  KUSUの曲で歌いたいで~す★」、はたまた「”たま”に憧れています!」という強者さえ…
KUSU KUSUはちょっとカッコ良いなとは思っていたけど『ヤバい所に来てしまった感』は否めず更に途方にくれる毎日。

当時はパンクバンドのギタリストになりたい!と強く思っていたけれど当然仲間も見つからず、
しょうがないから「フォークソング同好会」所属の同級生達がやりたい曲を、ジャンル問わず片っ端からギターで弾いていった。
ジュンスカ・ユニコーン・プリプリ・レッドウォーリアーズやJusty-Nasty、そしてギターがスゲー難しかった田村直美さん率いるPEARLなども耳コピとタブ譜でなんとか雰囲気だけは乗り切った。

とにかく自分の居場所を見付け、パンクバンドをやりたい気持ちとの折り合いを着けようと必死にもがいていた矢先、更なる事件が…

それは5月。
「新入生歓迎会」という名の体育館に全校生徒を集めて行われるフェス開催。
チアリーディング部がバトンを振り回し、演劇部が手作りセットで新入生に入部をアピールしている様な行き場の無い宴の最中、遂に我々のホーム「フォークソング同好会」がGIGをスタート!
2年生のプリプリコピーバンドはまぁ女子校のスタンダードなのでとても盛り上がり、3年生のZELDAコピーバンド(!)が登場。
「あぁ、この学校もなかなか捨てたもんじゃないな」と腐りかけていたマサヨの気持ちも少しずつ和らいでいった、が。

その時…事件は起こった。

このフェスの大トリをつとめる我らがフォークソング同好会の部長・浅川さん率いるバンドが始めた曲は…

「Bon Jovi」(ボンジョビ)だった。

部長が何を演奏するか知らなかった為、椅子から転げ落ちそうなアタシを尻目に浅川さんはとても気持ち良さそうな面持ちで「Bon Jovi」(ボンジョビ)を完コピでうたっていた。

だめだこりゃ。

再びアタシの脳内にいかりや長介の声がディレイ状態で駆け巡った。

別に「Bon Jovi」(ボンジョビ)は全然悪くない。
45歳のアタシはジョン・ボン・ジョヴィの凄さも今は少しだけ分かる。
ただ、なにも女子校で「Bon Jovi」(ボンジョビ)を全力で。
せめて、レベッカでも…
15歳のマサヨには自分のやりたかったパンクバンドとは真逆の方向性で君臨する部長を観て、ここで本格的に途方に暮れる。

で、9割方この学校でパンクバンドは無理だ…と固まっていた所に救世主あらわる。
なんと、ラフィンノーズやニューロティカ、はたまたセックスピストルズやラモーンズやウィラードを実のお兄さんから教わったという絶妙なクラスメイトを発見!

その娘と仲良しのクラスメイト達を入れて早速バンドを結成しメンバー全員フォークソング同好会へ入会。
学校の秋フェス・文化祭でフォークソング同好会セカンドGIG開催。
アタシはまんまとラフィンノーズコピーバンドのギターとして体育館ステージにデビュー。

そして調子に乗ってそのバンドは国分寺モルガーナでのライブを「ウィラード好きお兄さん」に頼みブッキング。
ライブハウスに出られる嬉しさのあまりメンバーの1人が学級日誌にライブ告知をした所、校長先生を巻き込んだ大騒ぎに。
どうやら校則ではライブハウス出演禁止だったみたいで…親を呼ばれ先生から説得されライブ出演は中止に。

この事がきっかけとなりバンドのモチベーションは急降下し、その後もぽつぽつと校内だけで活動は続けてはいたものの開店休業状態。
後にこのメンバー達から仲間外れにされるというオチまでついていた…。

アタシは当時旧新宿ロフトでKENZI&THE TRIPSやニューロティカを観たり、八王子市民会館でラフィンノーズを観たり、色々なライブハウスやホールでスゲーカッコ良いライブを観まくっていたので、やっぱりどうしても自分のバンドでライブハウスに立ってみたい!という欲望だけが増幅していた。

頭の中では完全に、
「校則<ライブハウス」だったのでまたしても学校やめようと思っていた所、急に閃いた!

そっか、学校じゃない人とバンド組めばいいんだ!!!
きっとバレない!!!

そうして、
アタシの生まれ故郷である品川区五反田の幼なじみ「愛ちゃん」と学校以外でバンドを始めた。

これでやっとパンクバンドでギターが弾ける!と浮かれていたのもつかの間、なんと愛ちゃんもギタリストになりたかった様で、結局2人でジャンケン。
アタシがグーで負け愛ちゃんがギタリストに大決定。
ギターのパートを取られてしまい、しょうがないから取りあえず歌をうたう事にした。

もしもタイムマシーンがあるならば昔の自分に伝えたい。
「マサヨ、ツインギターという手段もあるんだよ」と。

その後パンク雑誌「doll」でメンバー募集をして、集まったよく知らない人達と共にスタジオペンタに入り、大好きなKENZI&THE TRIPSやラフィンノーズやニューロティカ、はたまたセックスピストルズやラモーンズなどの曲を沢山練習した。

やっぱりバンドって楽しいな~!
そろそろライブやりたいな~!
なんて思っていた矢先、練習スタジオに「ノルマを払えば誰でもライブに出られるコンテストがあります」という内容のチラシが貼られていた。
今思えば、謎の外部イベンターが主催している怪しげなイベントだったけど…
当時高校生の我々にはライブハウスへの出演方法など全くわからなかったので、怪しさよりむしろ非常に助かるシステムだと喜んだ。
チラシをよく見るとコンテスト予選会場は何ヵ所かあり、出演場所を選べる様になっていた。

愛ちゃん(ジャンケンの勝者)とどこの会場に出ようかワイワイしていた所、ふとアタシの大好きなバンドがたくさん出演しているライブハウスの名前を見つけて驚く。
こんなド素人のコピーバンドがここでライブ出来るなんて…
さすがノルマを払うだけの価値はあるな!
とにかくここでライブがやりたい!!!
と早速応募し、念願のライブ日程が決まった。

これでやっとライブハウスに出られる!

本当はギターが弾きたかったけど…
しょうがないからうたうけど…
でもそんな気持ちをも吹き飛ばす位このライブハウスに出られる事がとにかく嬉しかった。

そしてライブ当日、
小さな入口から階段を下り、少々くたびれた扉を開けると、そこにはアタシの憧れていた世界が広がっていた。

次々に知らない人達から「オハヨーゴザイマース」と声を掛けられ、
不思議な気持ちで頭を下げてまくり、まだリハーサル中なので遠慮がちにステージ脇の細い通路を進むと、落書きだらけの壁に囲まれた小さな部屋が。

「これが楽屋というものか!」

今までライブを観に何度も訪れていたこのお店だけど、さすがに楽屋へ入る機会はないので、まるで観光客の様に見るもの全てが嬉しく思えた。
世が世なら100枚くらい楽屋を写メっていただろう。

あぁ、アタシは今日ここのステージでライブが出来るんだ!
ライブハウスでライブが出来るんだ!

そして謎のコンテストがスタートし、合格したら何があるのかよくわからないまま、出演バンド達は皆がんばっていた。
勿論アタシも、一生懸命歌をうたった。
スゲー緊張しながらうたった。
コンテストだか何だか、もうよく分からなくなっていたけど、
とにかく生まれて初めてライブハウスで歌をうたった。
しかも大好きなお店で。

そのお店は、
「新宿JAM」という名前のライブハウスだった。
1989年石坂マサヨ16歳の夏。

2017年12月29日
新宿JAMでアタシはまたライブをやらせてもらえる事になりました。
今度は「しょうがないから」ではなく、「うたいたいから」新宿JAMに歌をうたいに行きます。
16歳のマサヨに会ってきます。

そういえば、
あのコンテストの結果は、いつ発表されるんだろう…

ロリータ18号
石坂マサヨ

image